フエンヒローラ
チーズ
6月、フエンヒローラ午後9時。
ホテル前の海岸通り、ゆったり打ち寄せる波。

波に手を触れては日本に残してきた両親を思う。

昼間の熱で熱い砂、それにひきかえ、海水は冷たい。
潮がゆっくりと押しよせ、退いてゆく。波からすくい上げた手に灰色の砂だけが残る。
繰り返しすくい上げる。灰色の砂が輝く瞬間、砂粒に混じって、貝のほんの少しの虹色のかけらや、細かく砕け波にあらわれて角の取れたガラス瓶の青が光る。

砂に埋もれたつま先、サラッとした感触、海の中に消えてしまいそう。

カモメが上空を舞って西の空へと飛んでゆく。
先頭のカモメは沈んでゆく太陽をめざすかのようにまっしぐらに、堂々と頭を上げて、永遠の直線を行く。

瀬戸内の砂浜へとはるかかなたで通じているのだろう海の、見渡す限りの水平線が暮色に輝いて、
青から紺へとかわり、さらに濃い藍色へと、衣を違えてゆく。
この水を押し開いて、海の底へ降りていければ、体もまた藍に染まり、頬が透明になってゆくだろうに。

ここいらはリゾート地として栄える。アンダルシアにあってアンダルシアでない地帯。
海岸を歩く外国人たち。それを目当てのたくさんのレストラン、バル、土産物屋。
夜の一時ではまだ大半が普通にやっている。

土地の人はベンチに腰掛けて、行きかう人たちをながめるともなくながめているだけ。
通過しない人たち・・・・。
波が荒れるときには、道路を越えて家の間近に水が来たという。
取り残された記憶のなかで、貧しかった過去を語る。
土地の人たちは泳ぎを知らない。
海は仕事場だったから、遊びで泳ぎに行くなんて考えもしなかったと、老婆が笑う。

港は、船が舳先をそろえて桟橋に行儀良く整列し、一番突端の船にも車で行けるように設計されている。

30年前は漁船だけが行きかっていて、今が夢のような話だった。
変われば変わるもの。
網を入れておく納屋や、古ぼけた漁船たちは隣の港に追いやられた。

ここはヨットや客船だけ。国籍もまちまちな、たくさんの船が停泊している。
港の真ん前にマクドナルドがあるのは、愛嬌。けっこうはやっている。

どこまでも続く海岸は全長7kmにおよぶ、地中海のはずれ。

月は夜遅く巨大な姿をさらす。隣に光る一番星。濃い藍色の空。

散歩する人々のすれ違ってゆく顔が、背丈がそれぞれに違う。
スカンジナビア系、オランダ系、イギリス系、ドイツ系、インド系、フィりピン系、僕は蒙古形。
海風が涼しく顔をなでて吹きすぎてゆき、のんびりし歩く。

両足のない男が路上でフルートを吹いている、もちろん前には小銭の入った箱。
「アニモ」(がんばれ)とつぶやいて1ユーロをいれる。なぜ足がなくなったのか聞かないままに。

彼の吹く素朴なメロディーが頭から離れなくなってしまった。

2ヶ月を過ごすのに宿泊の方法はいろいろあった。
ホームステイが一番と考えたが、掃除やベッドメイクを自分でやるような所だったら困るし、アパートもそういう点では同じ、オスタル住まいということにして、いろいろ調べているうちに、スペインの旅行社をかいしてとれば4つ星のホテルが安く借りられることがわかったので即決した。

ホテルから海岸は目の前。プールや、ジムがあって、場所が学校のそばだったので言うことなしだった。

来てみて、一つだけ困ったことがあった、
ホテルの中はほとんど英語の社会だったのだ。
記憶が薄れたスペイン語を取り戻しに来ているのに、毎朝英語は困る。学校でも5人の同級生のうち4人がアメリカ人とイギリス人で英語のネイティブだ、残る一人はフィンランド人だが、やはり英語ができるので、授業以外はオックスフォードなまりと、ロサンジェルス米語、シンガポール英語と、先生のスペインなまりの英語につきあうことになってしまった。

見知らぬ街が、1週間、2週間とたつうちに、通りを覚え、自由に動けるようになった。
最初の1週間は体がなれる時間だったようで、本当に体調が良くなったのは2週間目からだった。無理もない気候がまるでちがうし、生活の時間帯もちがう。朝日が昇るのが7時半。9時半には学校が始まる。6人での授業が2時までで午前中になる。授業は午前で終わり、後は自由。

2時から5時までが食事時間と昼休み、一般の店も一度閉じて5時から9時まで又開く、逆にレストランはその時間に開く、バルだけは一日中開いている。
日が沈むのは9時半、パセオ(散歩)の時間だ。

一年中晴れの土地、曇りの日さえわずかだし、汗をかいてもすぐ乾く。感覚的には汗はかかないのと同じだから、水をボトルで持ち歩いてしょっちゅう飲んでないと体がおかしくなる。一日に2リットルぐらい飲むが、トイレの数はそんなに多くならない。

朝、主婦は自分の家の掃除に忙しい、家というか家の前のタイル張りの道まで洗って、モップで磨いている。聞くと“汚いから”と言う、それはそうだが・・・。
よく毎日繰り返すものだ。マドリッドでは絶対に見る事のない風景。

ペンキの上塗りも主婦がやっているのによく出会う、旦那も日曜になると塗っている。
ペンキ屋を頼むと金槌でたたいて前のペンキを落としてからやるのだが、そんなことお構いなし、ペタペタと塗って白い町並みを維持している。

掃除洗濯のほかに、朝はパンを買いにでかける主婦も多い。だからパン屋は7時半から開いていて、パリッとした焼きたてのパンが手にはいるようになっている、さぞうまいだろう、気持ちはよくわかる。

本気の買い物は車で行かないと無理かもしれない、果物、ジャガイモ、トマトはキロ単位で買う、それも1キロというおとなしいものではない、肉もキロ単位、たとえばレストランの一人前が500グラムだから、4人家族でも2キロはいる。日本の肉の値段を聞かれて100グラムの値段を言うと、「なんて安いんだ」と驚いている、キロ単位と間違えているのだ、ステーキ一人前150グラムが普通なんて信じられるはずがない。
肉屋で良い肉がでる、だいたい2日前に殺した牛がうまいというが、見てわかるのかなあ、いやそんなはずはない。
イワシも6匹が一人前だから4人家族だと24匹買う、魚屋には黒鯛や、アンコウ、オコゼ、イワシ、甲イカ、エビなんかが並んでいる。ここは産地なので安いが、いくら安くてもホテル住まいの身の上では買って帰るわけにはいかないので、マリスコを食べさせる店に行く、高級な店はたいてい生け簀に魚が泳いでいる、ランゴスタ(伊勢エビのでかい奴)が長持ちするらしくどこでも12,3匹入っているが、ランゴスタを注文する人は少ないと思う。

昼休み、テレビもその時間に会わせてニュースや番組をやっているので、こちらの老人は一日テレビを見ている。知り合いの日本人の奥さんで12時に食事しないと調子が悪いという人がいたが、開いているレストランがないので、どうしてもバルになる、バルもそれはそれでおもしろいが、レストランほどいろいろな料理を取りそろえてないので、いきおい毎日同じような食べ物になる、これでスペインの料理はまずいと言われたんではたまらない、郷に入っては郷に従えだろう。

やがて食事と昼寝の時間が過ぎて店が又開く、5時から9時までやっているので便利だ。昼寝と言えば、する人もいるがしない方が多い、食事の仕度と後かたづけまでで3時間はあっという間に過ぎるので、昼寝の暇なんかない。

なにしろ話し好きのひとたちだから。その間ずっと話し続けている。当然の疑問として、いつ寝ているんだろうというのがある、夜更かし族は昼寝をしているし、朝早い仕事をしている人たちは、けっこう早寝しているから心配はないのだそうだが、僕はにんにくを食べているせいだと思っている。

フィエスタ(祭り)のときは話が別だ、みんな朝まで飲んでいる、目が真っ赤な人も多いが、フィエスタの時にのみづきあいをしないと、翌年までたたる。あいつはつきあいが悪いと言われるので意地でも飲む。でも酔っぱらうような飲み方ではない、基本的には話が主で、その合間に飲むのだ。話の内容は男なら一ヶ月いくらかかるかとか、家のローンがいくらだとかが多い。そのことを延々しゃべり続ける。女はそれに加えて隣の奥さんの噂が入る。

赤ワインが食卓にあるのはいつものことで、水がわりになっている、飲めない人はもちろん水を飲んでいる。交通違反の中に酒気帯び運転もあることはあるが、日本ほどうるさくはない、それでもつかまれば罰金である。それで運転する時はセーブして飲んでいる。それでいてスピードは高速道路なんか150キロだすこともざらなので、事故が起こるとひどい。

アンダルシア人の労働嫌いはどうやら伝説になりそうだ。仕事がなかったし、あっても給料が安かったので働く気が起きなかったというのがほんとうのようで、今は仕事はいくらでもある、働くだけお金になるというのだから、きびきび働くという物だろう。学校に行く途中にも建築中の家が何軒もある。

働くからお金が入る、入ると使う、まず家、次に自動車(ない家はない)、家具、電化製品、着物、外食が多くなる、衣食住足りて物思う、というがそれはスペインも同じ。働いているから収入も安定しているので、家はローン、障害保険にも入る。一応65才が停年だが自営はこのかぎりではない。スペイン人は年取るのが極端だから、60才越えるといかにも老けて見える、65才定年にしないとよぼよぼの老人を働かしているように見えるかもしれない、でも口は達者だ。若い者よりよっぽど良くしゃべる。

いまはモバイルの時代で、中学生くらいになると携帯電話をほしがるのはどこの国も同じで、携帯電話を売る店が市内のあちこちにある。それからずいぶんたくさんインターネットカフェがあって、コンピューターゲームに夢中な若者が多い。日本と違うのは一台のコンピューターに4,5人張り付いて歓声を上げていることが多い、開放的な国柄だから。
それからインターネットカフェのなかに電話ボックスが10個くらいある所が多い、ここでかけると国際電話が市内通話と同じでかけられるので、もちろん使用する外国人が多い、僕もその一人だ。正規料金だと5000円とられるくらい話しても、240円ですむからインターネットもたいしたものだと思う。

街を歩く人を見ていると、入れ墨がずいぶん定着している、男は40代に多く、女は若い子から40くらいまでに多い。墨入れの青だけワンポイントで入れているのが多いが、あまりきれいとは思えない。でも定着している物はしょうがない、日本の彫り師の作品を見せてやりたくなるが、日本ではすばらしい彫り物を入れているのはその筋の人ばかりなので簡単にはいかない。
後、鼻のピアスをしているのが多い、それとへそのピアス、これはなかなかおしゃれで、はやりの丈の短いシャツによく似合っている。困るのはドラッグ、全世界的に蔓延している、もちろんスペインも、古くて新しい社会問題。開放的な性格だけにやり始めるとむしろおおっぴらにやりたがるのがなお困る。
若い主婦や、中高生、子供は昼間海岸にいるが、それ以外の人は、気持ちよく過ごせる時間まで家の中にいる。やがて、椅子を家の前に持ち出して井戸端会議を始める。毎日同じ光景、毎日同じメンバーで何をそんなにしゃべることがあるかなあ。テレビも毎日つけっぱなし、平和そのもの。スペイン風の一階建てで、白く塗ってはあるが、長屋みたいな物、向こう三軒両隣を地で行く感じ。家の中は大抵家族の写真が飾ってあり、結構立派な家具が置いてあったりするのに、家の前の井戸端会議が楽しみのようだ。
そこの角に座ったおじさん、昨日もその前も椅子の角度まで同じで座ってる。そこを通りかかる乳母車も同じ時間で、同じ母親、不思議なくらい日常的だ。
パセオの人も多い、ちょっといい格好をして、公園で井戸端会議をしたり、ウィンドウショッピングしたり、海岸を歩く。毎日の習慣だから健康かというと、あまりゆっくり歩くので運動にはならないと思う。時々海岸べりにぼーっと腰掛けているのもたいていそうで、立ち並ぶ料理屋に入るでもなく、ただ散歩している。
マラガからトレモリーノス、フエンヒローラ、マルベージャ、世界の人が集まる地帯。地中海の西の果てにあり、気持ちのいい風がいつも海から吹いている。気温は今は28度どまり、7、8月はもっと暑い7月31日には43度を記録。強烈な太陽は紫外線の量が多い、でも日陰は涼しく過ごしやすいし海風が優しいので、バカンスに集まった人はみんな海岸でパラソルをさして5時間くらい寝そべっている、もちろん途中海に入って体をひやすし、サンオイルを使うが、日本人がこのまねをしたら全身火ぶくれになる、強い太陽だからせいぜい1時間が限界。白人は東洋人より皮膚の色素が少ないから、案外平気みたい。なにせ最初日に焼くと真っ赤になるんだから、そこからして我々とは違う。北欧やドイツの人は、夏に日に焼いておかないと、冬風邪をひくという信念みたいな物があって、男はみんないつも半ズボンだ。土産物屋にも老人のトップレス人形を売っているが、こんなに裸ばかりだとどうでもよくなる。開放的という言葉がぴったりのところ。少しでも恥じらいがあれば欲情するかも知れないが、あっけらかんとしているので、こっちもどうということはない、第一普段着も紐のタンクトップだからトップレスとそんなに変わらない。海岸にも、ホテルのプールの周りにも、日に焼くために寝そべっている人でいっぱいだ、今年はワンピースがはやりのようで、ビキニと半々くらい、男はトランクス。男物の海水パンツを買いに行ったが、それとはっきりわかるような競泳タイプは別のコーナーに売っていて、海岸用にはやっぱりトランクスを勧められた。
紫外線の害について知らないのかというと、そんなことはない、スペインでは政府の公報で広く一般に知らせている、特に赤ん坊は直射日光には当てないようにと言ってはいるが、母親が小麦色に日焼けしたい人が多いのも確か。日光がきつい13時から17時までは気をつけてと土地の人は言う。土地の人は、若い人は別として、いっさい体を日に焼かない人も多い。焼くのに精出すのは1〜2週間滞在の外国人達だ。7月になるとスペイン人もたくさんバカシオーネでくる、やはり海岸にいて日に焼いているから同じことか。
12才から90才まで、サングラスをかけて日がな一日体を焼いている光景が、7q続くのはちょっとたいしたもの。顔は小さいが、腰から下はみんな巨大だ。8等身の太いやつの比率を見慣れてくると、鏡に映る自分の体が異様に見える。東洋系はなるほど違うものだ。日本の女性がここにいたら、たまらなくやさしく、美しく若く思えるだろう。インドの女性がそばにいたので、聞いてみると、インドでもやはり中年太りはあるのだそうだ。ある日の新聞に10代、30代、50代、70代、の女性の変化の特集が出ていた。それを見ると特に30代に太るようだ。そして50代は日本の70代位に見える、もうおばあさん。70代位は日本と比較の対象ではないようだ。赤ん坊が天使のようにかわいいのがせめてもの救いか、僕でさえ50には見てもらえない、どうしても40だと言われる、若く見られたかったら間違いなくここにきていればいい。
ところが、その光景を見た同級生のフィンランド人のアンティがが「こっちの女性はみんなきれいだし細い、フィンランドの娘はぶっといから、ぼくは、こっちの娘と結婚するつもりだ。」という。基準が違うとはいえ、僕はたった今、なんて太いんだろうと思ったというのに。かれは、背が190p、手はものすごく大きいし、腕も足も信じられないくらい長い、ほっそり見えるが、毎日ジムにかよっているので実はたくましい。で、これよりぶっといのを想像すると、巨大としか言いようがない。これが人種の違いという物だろうとつくづく思う。
今頃内陸のセビージャも、グラナダも、ラマンチャも暑い。風が吹かないところだから、ますます暑いだろう。テレビでもラジオでも“クリシス(危機)”だといってる。建物の中以外は活動できない。日中、通りに人影を見るのはまれ、でも庶民の家にクーラーはない、日陰は涼しいからというが、まだ普及してないだけだと思う。停電が日に何回かあるが、それでもホテル、病院、オフィスにはクーラーがついているので仕事に支障はない。
で、このフエンヒローラでは昼間から大勢の人でにぎやかだ。海岸だけではない、商店も、学校も、オフィスも、それぞれにぎわっている。2時頃、陽が真上で日陰がない時、学校が終わる、昼食時だ。ナタリアの店に行く。アンティーのおばさんがひいきにしていてうまい店だというので、一度いったらやみつきになった。ALBAHDA(アルバーダ)という。彼女はスペイン人というが、オリジンはイタリア系だと思う、弟も同じ顔と体型をしているが、これと同じ顔かたちは北イタリアでよく出会った、背が高いのも特徴だ。ナタリアは舌が確かで、スペインの小さな惣菜屋なのに味は一流。この店に来るとすべてがおいしいのでほっとする。来る客もそれと知ってくるらしく、2週間通ったところで常連の顔ぶれを覚えた。近所の主婦風、勤め人風、何となくおかまっぽいのもけっこういる。なにせおかまに優しいから、ここの人は。市民権を得ているもんなあ。
ガスパーチョもいい、単純な料理なのに味に奥行きがある、パンとか、油などの料のちょっとした違いなのだろうが、なるほど夏はこのスープに限ると思わされる。
鱈は普通食べないのだが、この店のは別、ほうれん草の入ったソースがなんともいえずうまい。スペイン料理は基本的に素朴なので、焼くのも揚げるのも塩味だ。それはそれでおいしいが、ここのを味わうと、奥にぐっと深い味が加わるのに気づく。最近の新スペイン料理もそう言うところをめざしているが、その手の店は高く、ここの7倍はする。ナタリアはフルーツをうまく使って甘みを加え、トマトやチーズのソースには香草を加えて何とも言えない味をだす、ほうれん草を使うのも得意だ、ラザニアやなすにほうれん草とチーズを挟んだ物が又うまい。中華料理の素材屋もあるし、醤油もあるから隠し味に使っているそうだが、でも最後は舌だと思う。それらをはっきり感じとれる舌を持っているのだ。
結局、彼女は7月になると腕を認められてホテルや講演会の仕出しを引き受けるようになり、忙しくて店の方はやめてしまった。1ファンとしては、成功を喜ぶ気持ちと、もう店で食べられなくなったことを惜しむ気持ちの半々だ。

昼食の後は歩いて帰るのだが、この時間は太陽が真上なので日陰がなく、さすがに暑い、建物のファサードの下とか少しでも陰のある所を歩く、帽子が役に立つ時だ、だんだん思考力がなくなる。ホテルに戻って、ジムでトレーニングするか、泳ぐしかない。ジムではイサベルが待っている、ジム専属のトレーナーなのだが、なにせ日光浴目当ての客ばかりなので誰も使わない、10:00にこのホテルのオーナーがマッサージに来るだけだ。ジムはほとんど僕一人で使っているから、何のことはない自分用のトレーナーを抱えているようなものだ。元気のいいときはさっさとマシーンにとりついてトレーニングを始めるのだが、疲れ気味の時はそうも行かない、重い尻をたたくのが彼女の役目だ。アルゼンチン人なので、あちら式のトレーニングを教えてくれる。基本的には同じだが、国によってやり方に違いがあるのがおもしろい、そんなにたいしたことをやっているわけではないが、彼女は棒を使うトレーニングと、ヨガを取り入れているのが特徴。ジャグジー風呂もあるが、この水の勢いが強くてマッサージをやったくらい効く、こんな威勢のいい風呂は入った事がない。
ジムが終わったらプールへ。周りにずらりと並ぶ陽に焼いている人を尻目に、がらがらのプールで泳ぎと歩きを繰り返す。深さ1メートルから2メートルまで、背の届くところの方が少ない。でも小さな発見、水の中を歩くときは水は首まであった方が歩きやすい、日本は胸までだからこういう経験はなかった。たまには海岸に出るが、日陰用の貸しパラソルが一日3ユーロで、借りてから海にはいるが水は冷たい、ヨーロッパの人たちはかなり冷たくても平気みたいだが僕はそうも行かないので早々に切り上げて、海岸で寝るか又プールに戻って泳ぐ。
プールサイドにいつもいるのがミゲル、他にもう一人救助員がいるが曜日で人が変わる、ミゲルはアミューズメント係なので毎日いる、4つ星のリゾートホテルだけあって、毎夜プロの歌手や、ダンサーが来てショーをやるし、ラウンジではいつも夕方からピアノを弾いている。ここのアミューズメントを一手に企画しているのが彼だ、このホテルで4つ目だそうで、マジョルカや、メキシコのホテルにもいたという。
二つ目のホテルをやめた理由がふるっている、そのホテルがヌーディストのホテルだったからだそうで、そんなホテルがあるというのも始めて聞いたが、従業員は服を着ていてもいいとは言っても、ほかは全部ヌード、ダンスフロアーを想像しただけでふきだす。プールはまだいいとして、レストランなんか困るだろう。お客全員がヌードのレストランではタキシードの従業員が宙に浮いてしまう。で、当たり前のことだが、ショーに来るアーティストが極端に少なくて、企画係としては精神衛生上わるいので、変わったんだと。ミゲルは28才、いい性格をしている。おばあちゃんがザルツブルグにいるので、ドイツ語も話す。5月にウィーンとザルツブルグで演奏した話をしたら喜んでいた。
ピアノ弾きと言えば、それまでポピュラーを弾いていたホテルのピアニストが突然、コルドバを弾きだした、ダンサ・エスパニョーラの5番をリクエストしたら、即座に答えてくれる。後でカウンターに呼んで話を聞くと、ギタリストのおじいさんからの音楽家の家系だそうで、お父さんがコントラバス、お母さんがバレー教室をやっていて、みんなそこで育ったんだそうだ。子供は息子3人がコントラバス奏者、残りの娘4人はバレーダンサーでこのホテルにフラメンコショーで出ているとのこと。本人はマラガ交響楽団のピアノ奏者だったそうだ。
指にはめているサファイアの指輪はおばあさんの形見。演奏が終わると、合間の時間によく近所を散歩している。そうでなければバルで水かコーラを飲んでいる。76才、まだまだ現役があと10年は続きそうな、老いを感じさせない人。ただひとつ残念なのはホテルではスペイン物はぜんぜん知らない人ばかりなこと。グリーグのほうがまだ知られていると、嘆いていた。
ホテルも3週間目くらいから受け付けや、門番がみんな挨拶するようになる。4週間目にはアミーゴと呼ばれるようになる、近代的なホテルでさえ中の人は人なつっこい。2ヶ月前、ETAの爆弾でホテルの一部の日本レストランを吹き飛ばされているので、守衛は異常な緊張感でホテルを警備している。本当は客との話すらいけない、警備中は常に怪しい人物を見張っている。耳にはイヤホーンをしていて、外にひとり中に二人で、手錠と警棒装備で地下の警備室と連絡を取りながら、車や人を見張っている、本物のプロフェッショナルだ。爆破の後という事情だから警備会社でも特に選りすぐりの人材を起用している。要注意の人物を見る目は鋭い。でも一緒に写真を撮ったら、そのおじちゃんが、(ウィリーといいう)写真をくれと行って毎日催促する。そこら辺の写真屋に頼んで焼いてもらってプレゼントしたら、うれしそうに受付の女の子(エリという)に見せていた。アミーゴの連発だ。その間もちろん警備はお留守である。渋い声だし、かなりの地位だろうに子供のようだ。
フエンヒローラにはアイスクリーム屋が至る所にある。なかに砂糖を使わないアイスクリームがある、サッカリンでも使っているのだろう、これは日本でも売れるかな。でも、砂糖を抜いても、脂肪分はどうなっているんだろう、乳脂肪を忘れてないかな。みんなこんなに太っているのに、無駄ではないか、よけいな心配だろうが。モデルや女優はほっそりしているし、ダイエット雑誌も結構出てるし、本屋に行くとずらりと並ぶ栄養関係の本、中には豆腐の効能を書いた本、指圧の本もある、柔道の本もある。
でもスペイン人の大半はそんな話と関係があるとは思えない、街を歩くと太鼓腹のおおきいのがいっぱい。自分がほっそり見える、いけない油断をしては。ダイエット食(日本人には普通食)に使える店をさがさねば。毎回レストランに行っていたら、日本の4倍は出てくるからあっという間に太る。日本と同じか少なめに出す店を探すがない、3品頼む所を一品ですませられるようになるまで通うしかない。ウェイターもそれは案外簡単に引き下がるようになっている。で通った結果、水と魚だけで良くなったレストランがカスエラ。イサベラ(ウェイトレス)とパコ(経営者)、本名ぺぺ・デ・ラ・カジェという、嘘みたいな名前。それに舌の確かな料理人マヌエルの店。パコとマヌエルはアルヘシラスの生まれでパコデルシアと幼い頃一緒に育った仲だそうだ。一緒に釣りをした話や、最初に“二筋の河”が出た時の話をする。今はメキシコに住んでいてもう5年会ってないそうだが、昔とちっとも変わらぬつきあいがあるそうだ。
ここで食べる魚は、塩加減がちょうどいいので助かる。減塩生活が長いので塩味には敏感になっているのでありがたい。ここは、特にヨーロッパ真鯛“ドラダ”がうまい、つぎがシタビラメのムニエル、常連扱いはありがたいのだが、その日仕入れた中で一番大きいのが来るようになってしまった。シタビラメなんか頭としっぽが皿からはみ出している。もとの皿がずいぶん大きいのにこの始末。鯛も一匹丸ごと。それに玉ねぎの炒めたのを付け合わせる。夜はたいていここ。前菜のほうれんそうのクレープとアンディーブのロックフォールソースのファン。
レストランに入らないでバルでタパ(極小皿)ですます方法もあるが、あきる。ボカディージョ(スペインのパンのサンドイッチ)も同じ。でも推薦マーク。このへんでは、ティピタパがホテルの土産物屋のおじさんの推薦。僕の推薦はバスク風の店リサラン、駅の並びにある、一口大のオープンサンドをピンチートというが、それにさしてある楊枝の数で値段を付けるバスクスタイルで、本格的なシードラもある。牛追いの時は従業員が全員白いシャツに白いパンタロンで赤いバンダナを巻いて仕事をしていた。
この前、ホテルで偶然でっくわした日本人ガイド、山谷さんとカスエラでワインを飲んだが、やはり日本人を夕食に案内しても結局量は食べられないので、3皿くらい取って、一緒につつくのだそうだ、一流の店で。他の外国人はちゃんととっているから目立つだろうな、それでも前菜から一通りとって、半分くらいで残していくよりはましか。なにせカトリックの国だから、小さい頃から、生き物の尊い命をもらったのだから、残してはいけないと教えられている。食べられないのは恥ではないが、気を利かせて一流店くらいは量を加減して出すようにしてくれるとありがたい。今までいろんな店に入ったがそんなサービスはなかった。ちょっとで良ければバルに行けということか。
行くなと言うのはかわいそうだし、旅行雑誌が、一流店のあとに、適当な量の出てくる店とか、頼み方をのせてくれるといいのにな。店の方は前菜からデザートまでの流れでサービスしたいし、酒もそれに合わせて変えていく方が喜ぶ。食べられない人は、その辺の所を知らない、一流の店には行かない方が無難かも知れない。習慣の違いとしか言いようがない、懐石料理に連れて行かれたスペイン人が、全部食べ終わった後で、“さて前菜は終わったから本菜にしようか”といった話は有名だけど、食べる量の常識が違うのだから仕方がない。品よく皿に盛られた季節の豆3つ、皿をながめて楽しむなんて、彼らには、意味が通じないだろう、豆なら大皿に一杯出てこないと。前にも書いたがステーキならフィレで500グラムが常識、骨付きだったら1sあることもざら。日本人の食通がヨーロッパの一流店に入るのがよくテレビに出ているけど、あれは本当に全部食べているのかなあ。それに一週間毎日違う店に行ってるし。1つの店に一週間通ってもメニューの5分の一も食べられないのに。それに季節によっても得意料理が変わるだろうに、一回きりでその店を判断する事ができるんだろうか、とにかく、よほどの大食らいでないと、なかなか食べられるものではない、というわけで僕に関しては食通にはなれそうもない。
マドリッドではバルのウエイターが、「タパ(少量の皿)がなくてウナラシオン(大皿一杯)だけだ」ということがある、ここではそんな事はない、グラナダ並にはいかないが、とにかくタパがつく。とくにこの辺の店はメニューに一人前、半分、タパと明記してあるから心配ない。ちなみに僕はボカディージョ半分かサラダだけでも結構腹にこたえる。タパの習慣は客寄せの為にあるので、マドリッドのような所は、場所によって出さない所も多い、もちろん出す所もあるが、観光客が集まる地帯ではたいてい出さない。
ここまでボカディージョが発達した国で、マクドナルドのようなものが売れるのかというのが、かねてからの疑問だった。だってそうだろう、基本的にパンに挟んで食っているのだから、いまさらマクドナルドなんて必要ないはずなのだ。そこで映画館の隣の、外人が来ない地帯のバーガーキングに入ってみた。日本と同じカウンターに向かい合わせの椅子。違うのは遊戯室が中にあること。子供だけ十数人、その中で遊んでいて、若い母親がそれにくっついているというか、母親だけで椅子席で話し込んでいる。子供は子供で張り切って遊んでいるから罪がない。そうだろう、年寄りが来るはずないもんなあ、いまさらバーガーキングなんてという声が聞こえそうだ。後は、中学生くらいの子達。試みにホッパーを頼んでみたが、結構うまい。パンは一緒だが材料の肉がいい。しかもケチャップやマスタードがスペインの味ではない、やっぱりアメリカの味がする。それも新鮮、おもちゃが付くチョコレートアイスセットもある、今はハルク2だ。これならやっていけるに違いない、なるほどと思った。
郵便
妻から一人でスペインにいる僕に手紙が届いた。2通の手紙を、6月1日と5日に出したのに、届いたのは最初の手紙から数えて13日後、それも2通まとめて。
スペインは郵便事情が悪い。大都市は比較的良いが、それでなくては、会社がやってゆけない。それでも一週間は楽にかかることがあるので、マドリッドなんかは自転車配達業がある、これなら3時間で着く、郵便は当てにならないのだ。困るのはその周りの小さな村、遅れる何ていうもんじゃない、来ない。映画にイル・ポスティーノという名画がある、あれは、イタリアの島が舞台で僕の好きな映画の一つだが、島に来た亡命詩人の住む一軒のために、郵便配達人を一人雇うという話だ。こんな細やかな配慮は望めないにしても、この遅れはいったいどうなっているんだろう。      
ひとつには、スペイン人の電話好きというのがあるが、それと郵便の遅れが関係あるかどうか。とにかく用件は電話ですませてしまうのだ。携帯電話が発達してからその傾向がよけい強くなった。たいした用もないのに電話をかけている。そもそも話すことが、大好きな人たちなのだ。みんなで集まって、何か話をして過ごすのが、生活の一部になっている。特に冗談が好きな連中が音楽家に多い、冗談の事はチステとかブローマという。その場の全員が吉本の芸人状態を想像すればいい。見てきたような話が、まことしやかにささやかれる。
たとえば、郵便は、来た順番に床に積み上げられてゆくが、仕分け係は時間が来ると、当然仕事を辞めて帰ってしまう、残った郵便は床に積み上がられたまま。次の日、又新しい郵便が届いて、さらにその上に積み上げられる。床の一番下から仕事をするわけもなく、当然取りやすい上から始めるから、下の方はいつまでも日の目を見ることはない。なんでも一番下には100年前の手紙が、配られる時を待っているそうだ・・・。とか、
配達人はいつも決まった順番に配って歩くが、最後まで配り終えるまでに時間が来ると、そこで中止してしまう。次の日も、又次の日も永久に配られることのない家が街の中に2,3軒ある・・・。とか、
もちろん、この手の話は、誇張と嘘が入り交じっているから、本気にはできない。イギリスだと3日で届くから、日本が遠いのか。いやそんなはずはない、飛行機は14時間でここまでくる。

スペイン人がみんなで集まっているときに、黙って最後まで人の話を聞いている奴はいない。黙っているときは次に話すことを考えている。内容のある話なんかするわけがない。内容のある話というのは、すぐには終わらないから。彼らが求めるのは、すぐ終わって効き目のある話だ。夕方集まって、パセオ(散歩)しながら話し始め、バルに行って何か飲みながら話し続け、次にちょっとなにか食べながら話し、最後にまた飲みながら話しているといつの間にか午前2時という感じ。僕の目から見ると、無駄な時間としか思えないのを、延々と続けている。無駄も生活のうちかもしれないが。
スペインにも政治家もいれば、経済界もあり、弁護士もいれば、医者もいる、とくに弁護士は成功する一族の必要不可欠なもの。そしてどの人物も日本のそれよりずっとそれらしい。謙譲の美徳という感覚がない。一歩下がるという気風もない。政治家と不動産屋はこのスペインでも、夏でもスーツ姿でがんばっている。銀行でさえ普段着でやってるところが多いというのに。政治家はまだ室内が多いからいいだろうが、不動産屋なんか顔を真っ赤にして街を歩いている、見ていて気の毒だがステイタスなのだろうから勝手にするさ。
もちろん「エルスール」などの名画もあるし、スペイン人に普遍的にある詩的一面は、認めている。詩人は僕の好きな人が多い。が、その話は又後。どうしてもフランコの時代の話になることが多いし、ピカソやカザルスの話になって、現代から離れていく。僕はスペイン文学者ではない、ただのスペイン好きなのだ。
俗っぽい話をしよう。女優や歌手はやっぱり空港でカメラに追い回される、相手の男はだんまりかと思いきや、不機嫌そうなしかめ面で、よくしゃべる、「おまえたちはゴミだ、そこら辺に落ちているくずより悪い、俺もゴミだがおまえたちはもっと始末が悪い。」と言いながら車に乗って走り去ったりする。おもしろいのは、その騒がれている人の友達というのがでてくることだ。一生懸命、弁護するのだ、その人物は時として本当に怒る。それで本人の談話はあまりない。それを魚にテレビで無駄に何日も騒ぎまくるだけ。驚くほど日本に似ているが、スペインだけに一つの話にさく時間が5倍くらい長い。それは歌番組でもそうで、期待していたのに5分で終わってしまうという事はない、もういいという位しつこくみせる。
スペイン人全部ではないにしても、マルハ(オバタリアン)たちにとってはゴシップは欠くべ刈らざる一日の活力の源だ、大半のスペイン人はニュースと、芸能トピックスとクイズ番組と映画で一日が終わる。男たちはなんと言ってもサッカーで、そこは良くしたもので、サッカーの日、その時間には、大きなテレビで放映しているバルが、人でいっぱいになる。とくに人気のある試合の曜日は決まっているので、その日のその時間は人通りも少なくなる。もちろん、キネラ(サッカーくじ)なんかやっていれば、もう夢中。その日の勝敗がすべてなのだ。キネラは日本と違って金額が大きいので、一等を当てると、一生左うちわの生活ができる。むろん滅多に出る物ではない、そのシーズンの全試合の勝敗なのだから。しかも賞金は当たりが出なければ次回に繰り越される。話はますます大きくなる。
もちろん、そういうのは抜きで、純粋にサッカーが好きな奴も多い、何しろ高校、大学、街、どこにでもサッカーグランドがあり、小さいうちからボール遊びはサッカーと決まっているのだ。そこら辺の道で子供がやっていても、ボール扱いはたいした物だ。ルイスの別荘にもゴールがちゃんと付いたサッカーグランドの小さい半面があったし、カシミロの息子は今中学生だが、サッカーがすべての生活を送っている。バルセローナのファンだ。
むろん、サッカーが嫌いなスペイン人もいる。ま、少数だが、フエンヒローラのレストラン“カスエラ”のイサベルとか、僕も野球がわからない日本人だから、その気持ちはわかる。今回もポルトガルにいく途中の高柳君が立ち寄ったが、“阪神の勝敗どうなったでしょうね”と阪神ファンの弁だが、インターネットですぐわかることなので、興味があれば見ているのだけれど、全然知らない。
夜中にテレビをやっているのは、日本と同じ。ただ、きわめてまじめな特集は夜中(午前3時頃)やっていることが多い。もっとも映画館が12:30はじまりが最終だから、夏の2時と言ったら、まだ起きてる方が多いと思うが。とくにこのへんは、1時過ぎまで表で子供が騒いでいる、市の花火が上がるのが夜中の12時からだからどうしようもない。ホテルは早じまいで1時にバーが閉まる。完全に生活の時間帯が違うのだ。朝バルが開いて朝食を開始するのが早い所で.8:30なのだから。テレビで野球は薬にしたくてもない、ほかはカーレース、オートバイにモトクロス、自転車レースと乗り物関係が多い。もちろん今では衛星放送でスポーツ専門チャンネルがあるので、テニス、K1、ボクシング、水泳、何でもありだ。
最近は、スペインは大きな映画館が目立っている、どれもできたばっかりで、だいたい8室くらいサロンがあって、映画がいろいろ見られるようになっている。そしてとなりには不思議なことにマクドナルドかバーガーキングがある。とにかく大きな映画館で、びっくりすることも多い。
バス駅のそばには“メルカセントロ”といってスーパーマーケット+専門店のこれまたとてつもなく大きいのができているところが多い。マラガのそれなどは本当に疲れるくらい大きい。マルベージャにはラ・カニャーダとよばれる、専門店集合体があり、電気製品、家具、コスメティック、ガーデニング用品と別々に巨大な建物が建っている。電気製品売り場に入ったが日本のビッグカメラに迫ってきている。ただしこちらは1階建てでちょうど8階建てのビッグカメラを横に並べたような感じでだだっ広いが、買い物には便利だ。専門の商品相談係もいる。
いまやマラガの海岸一帯は建築ブームだ、車も新車が多いし、映画館は新しくできるし、庶民も良い生活になってきている、もちろんそれに伴い物価は上がり、庶民の一人あたりの借金の額はふえているにはちがいない。それでも、貧困にあえぐ姿を見ないですむのはうれしい。建築ブームは雇用促進にもなるし銀行、私立学校、病院から新しく立て替えられている。
スペイン人も多種多様な生活を生きている、スペイン人とひとくくりで書くのが少々重たい。アンダルシアとバスクとカタルーニャを一緒には語れないではないか。日本人を語れと言ったら、沖縄と広島と大阪と青森を同列で語れるか、という話になるのと同じだ。
横浜、冨士山、奈良、京都で東京の赤坂プリンスと、浅草、秋葉原あたりが、外人観光の中心である、それは今も変わらないが。これで日本通の外人と言われたら、やっぱり考えてしまうだろう。赤坂プリンスの値段で東京は高いと言われたら冗談じゃない、ジュースが1500円するところがそうそうあるわけない。トヨタ、ソニー、ニンテンドウ、と企業戦士と金持ちのイメージは定着している。寿司は、すでに健康食として世界でブームになっている。そんな日本が失業者、不正入国者、の問題を抱え、普通に働いて停年になった退職者が、余生を過ごすだけのお金をもらえないのは腑に落ちないが、ここで話すことではない。
僕は時々、無国境と言うことを考える。全部でなくてもいい、通貨、標準語を統一してくれて、人々の国への往来、国との距離(マッハ3の戦闘機はあるのだから、旅客機もそんなのはできないのかなあ。)をイージーにしてもらうと、何かと都合がいいのだが。
愛国心もあるだろうし、民族の違いはどうしようもないとしても、すでにEUは通貨の統一に踏み切ったのだから、もう一押しだと思うのだけれど。国というのはもう行き詰まっているのではないか。すでに大企業は多国籍企業に変身して久しいのに。いつまでも国にこだわっていると、その軋轢で不幸にも報われない人たちがでる。いまだったら、北朝鮮やイラクの国民がそうだ。馬鹿な指導者のおかげで狂ったような時代を迎えている。常識があればこんな指導者いらないと言う所だが、恐怖政治だからそんなことも言えない。こんな考えは荒唐無稽だろうか。
宗教と同じで、人間がそれをやる以上(神はやれない、いるのを信じるのが宗教だ)、不公平が出てくるのかもしれないが。ある一人の人間に地球を任せるのは、やはり危険なのかもしれない、その役をこなせるような人物は、そんな大役を担うのはいやだろうし、自分からその役をやりたいような人物には任せられないもんなあ。現実味のある話に戻ろう。

土地の年寄り
行きつけになったレストラン“カセラ”のイサベラが、客がいないので、店の前ですぐ隣のおばあさんと立ち話をしていた。これはいい機会だとおばあさんに昔の話をしてもらう。イサベラも土地っ子だから、彼女の通訳付きだ、アンダルシアの土地の人の少し口ごもったような、省略の多い上に、マラガなまりの入った漁師言葉は、同じスペイン語とは思えないほどなのでまだ標準語しか知らないスペイン語学生の僕としては助かる。
それによると昔は漁師町で、今市役所のある広場からから上はカンポ(畑)だった。そこには風車があってオリーブ油を絞っていたそうだ。もちろんこの家が一番海に近いところにあって、ホテルや食べ物屋なんかはなく、静かだったというか淋しい所だったそうだ。いまでは早朝の人がいないとき以外は海岸に出ないという。海岸から通り一つ隔てた所だから、そこに海岸が見えているというのに、イサベラも16年間一度も海岸にいるのを見たことはないそうだ、昔を思い出すのだろう。
そういえばシルバーコロンビア計画というのがあった、コスタデルソルの一画に日本人の年寄りを移住させようという計画が、政府の肝いりで起こったことがあったが、あれはどうなったんだろう。ま、あまりうまくはいかなかったろうと思うが。病気をした時異国の病院はやっぱりこころぼそい。以前熱で寝込んだ時、隣のおばさんが来て「熱があるんなら空気を入れなくちゃ駄目」と、窓を開け放されたことがあった。しかも「病気の時は消化のいいフィレ肉を食べなくちゃ駄目」といわれた。外国慣れをしている僕でも病気の時にそんなことをいわれるとこたえる、やはりおかゆが恋しいもの。まして移住したばかりでそんなことがあったら、嫌になってしまうにちがいない。帳簿の出し入れが合えばいいのとは違う、人が住むには精神のバランスが必要だ。商社マンで海外生活が長すぎて日本に帰るのがいやとかいう人でないとむずかしいだろう。
40年前漁師はもちろん、その奥さん達も、全然泳げなかったそうだ。海は戦場なので、楽しみで泳ぐと言うことは発想になかったのだそうだ。“板子一枚下は地獄”はスペインでも通用するらしい。もちろん、水着もなく、用があるときは着物を着たまま海に入ったという。厳しい冬はどうしたのだろう。それにパレンゲイロと呼ばれる、遠洋漁業の人たちもいたはずだ。黒服の彼女は寡婦に違いないので聞いてみると、旦那は先に死んだとしか言わない、話が聞けなくなると困るので、深く追求するのはやめた。
波が家を乗り越えて向かいの壁まで着たことも2度や3度ではないそうだ。そんな激しさは今の海からは感じられないが、季節によってはそんなこともあるのかも知れない。大自然相手だから何が起こるかはわからない。この海が豹変するのだろうか。
砂浜で外国人が体を日に焼いているが、土地の人間は決して日に焼くようなことはしなかったという。もっともこのおばあさんには孫に当たる第3世代くらいになると、マクドナルドに出入りして、海岸で体を日に焼いて夜は映画やディスコと変わってしまっているが。彼女は古き良き時代の人なのだ、もちろん今の方がずっとリッチに暮らせるのだから、むかしにかえれとは言わない。豊かで文化的にはなったが、ひとの気持ちが変わってしまったということが言いたいのだと思う。80才になるだろうか、生き抜いてきた時代の重みを感じる。
フランコが軍事クーデターを起こしたとき7才だ。もちろんこんな田舎には目もくれなかっただろうが。
変わるマラガ
エステバンが食事に誘ってくれ、夕方8時ホテルに迎えに来てくれた。奥さんも、15才の娘も、その彼氏も一緒で、最初マラガの“エル・ティンテロ”という店で鰯やスズキを食べた。ウェイターが皿に盛ったイワシやイカの焼いたのを客席に売り歩いて、勘定は皿の数でするという店。入り口に大きな木を燃やすいろりがあって、イワシを串に刺して一度に100匹位焼いている。エビ、イカは鉄板の大きな奴で焼く。見ていて気持ちがいいくらいの焼きっぷり。できるとどんどん皿に盛ってお客の所へ売りに来る。似たような方法は、まえにガリシアでも見た、ガリシアのは全部ピンチョ(串焼き)で勘定は最後に串の数を数えるだけという、日本の串揚げの店と変わらないやつだったが。この庶民的な所がいい。
もともと、スペイン料理は芸のないもので、だから、高い店でも安い店でもたいして味は変わらないという長所がある。ところが最近フランス料理にまけない新スペイン料理が出てきて、極端に高い店はやっぱりおいしいという評価に変わっている。ところが庶民代表のベティーや、結構金持ちのエステバンには、まだまだそういう所で食事するという感覚はない。もちろん存在は知っている。が、今の興味はやはり家、値が上がっていると言っても、ローンを組めば家賃を払うのと同じ位で普通のピソなら2000万円。4000万円だすと、ビラと呼ばれる一戸建てで、プール付き、6部屋、リビング、台所、広い庭の邸宅が買える。庶民の家はもう少し小さいが、それでも4部屋、リビング、台所、庭共同、といった所だ。
 さて、勘定を済ませて、今一番あたらしいマラガのプラサマジョールに車で連れて行かれた。100軒ちかい料理屋がならび、20ものスクリーンがある大映画館、その奥にはゲームセンターとボーリング場、ミニゴルフ、ショッピングスポット、ディスコといったものが、広い敷地に建てられている、2階建てでない所が日本との大きい違いか。アラブ料理、モロッコ料理、中華料理、イタリア料理、スペイン料理、イギリスのパブ、キューバのディスコ、なんでもある。アナはまだ14才なのでディスコに入れてもらえない、見かけはもう大人と変わらないのに正直に14というところがまたいい。
アナとノビオがボーリングを始めた。我々は観戦、コンピューターで自動的にスコアーが出る。おもしろいのは、その隣にもモニターがあってサッカーの試合を中継していること。ボーリング場までサッカーがついてくるのはスペインならではか。マドリッドは大きくなりすぎた。そのわりに昔ながらの建物が多い。マラガは高層ビル街ができ、このような大きなアミューズメントプレイスができている。
 基本的に、僕の周りの人たちはやさしい。エバはビルバオ出身だし、ミゲルはマラガ、イサベルがフエンヒローラの人間だが、出身が違っても思想信条が違っても、やさしさを忘れていないことはいっしょだ。この国のどこに盗賊がいるのかと思うが、それは日本も同じ、ヤクザと同じ街に住んではいても関わりがなければいないも同然。でも時折ニュースでヤクザが近所にいたことを知る。
ここでもコロンビアからは、センデロルミノッソ、早い話がマフィア、モロッコからは麻薬の輸出専門のグループ、アラブからも、中国からも、最近ではロシアからもこの辺に来て、ディネロネグロ(黒いお金とこっちでも言う)で豪華な別荘を買ったりしてクリーニングしている。世界の金持ちが集まるマルベージャには、世界の犯罪組織も集まっているわけ。
でも庶民の僕としては、全然関係ない。この前、山よりの街の高速道路の入り口で、コロンビアマフィアの大物が、猛スピードで車線につっこんで、即死したのがニュースで出たが、パスポートは偽物だし、顔は整形しているしで、結局うやむやになってしまった。
いつも思うのだが犯罪で稼いだお金でレストランで食事して、おいしいのだろうか。しかも上に登れば登るほど敵が増え、警察からもマークされ、一日として落ち着いた日はないだろうに。エバの意見ではお金が入るのだから喜んで使うに決まっているんだって、うーんちょっと短絡しているような気がするけど。悪い事をしているということは自覚しているから、大物になると国家予算ぐらい稼ぐこともあるとか聞くが、案外生活は質素だという。
今スペインの抱える問題は、若い人のドラッグ狂いと交通事故とETA。日本のような暴走族は存在するような国民性ではないのだが、やたらカーステレオの音を大きくして(信じられない大きさ)走る若者が多い。ディスコティックは朝7時までやっているし(夜明けまでということ)、ドラッグはやりたい放題だ。
 朝9時(感覚的には日本の7時)に、小学校の前で中学生位の子がドラッグを巻いて火をつけているのを見た。隠す様子も何もない、しかもその小学校は警察のはす向かいだ。頭がどうかしているに違いない、法律的には個人使用は認められているとはいってもこうまで堂々とやられると、目の前の子供の幼さとドラッグの常用が僕の中で結びつかない。ドラッグ常用は脳が壊れると言うが、本当に壊れているのかも知れない。いずれ、より効き目の強い麻薬へと移行するかもしれないのに。
 一方でタバコと大して変わらないという声も聞くが、タバコと同じく国が安く販売したりはしないではないか。相変わらず販売の為に所持するのは法律違反だ。百歩譲って、吸いたい者はしかたがないとして、これを買う金ほしさに強盗に変身するのがいるのが困る。本職ではないからいきなりナイフを突きつけてくるという、間違って刺したらどうするのか。いづれにしても犯罪と至近距離にあるのは確かだ。
 ETAについては爆弾だけに深刻だ。ここにいる間に全国で4件、アリカンテ、エステージャも標的になった。大抵20分前に爆破予告があっても、それが嘘で場所が違うことが多く、通報でかけつけて捜査する警察官が被害にあってしまうケースが多い。ETAの家に生まれた子は幼い頃からETAとしての教育を受けてしまうので、ユダヤ人と同じく別種の人間が育ってしまうから、なかなか根絶やしにできないのだというが。これは大きな問題だ。バスク人の印象が悪くなってしまう、たしかにETAはバスク人だが一部の過激派にすぎない。アスナール内閣はアメリカのイラク戦争にやはりテロは許さないと宣言したが、自分のなかにテロリストがいたんではしょうがない。
 それに比べればかわいい問題だが、年寄りが嘆くのが、道に自分の犬がした糞を、拾わないでそのまま行こうとする人、年寄りの誰かが注意している。なにしろ表の道のタイルまで毎日きれいに掃除するおばさんが珍しくない所だから。壁なんかもいつも水ぶきしている。そこに犬の糞は怒られてもしょうがない。昔は道でキスしていても老人に注意されたという。今では信じられないが。

 7月25日の夜、山谷さんと又あった、今度も2人のお供だそうで、旅行社も大変だ、昔なら2人だと添乗は断られたのに。で夜は暇だと言うから一緒にサルスエラを見に行く事にした、この日はあいにく風邪気味で薬を飲んだら、ちょうど上演中に眠くなってきて、途中で帰る事になったが、舞台装置も衣装もかなり豪華で力の入った舞台だった。お客も満員でこんなに話題性のある会だったかとびっくりした。1898年に初演された“巨人とカベスート”というコミックオペラでミゲル・エチェガライ脚本、マヌエル・フェルナンデス音楽で、ホセ・タマヨの右腕として働いていたアントニオ・アメングアルが監督だった。ただ、お城のステージだけにいすが良くなくて疲れた。
ホセ・タマヨはアントロヒア・デ・サルスエラ(サルスエラのアンソロジー)で世界中を渡り歩いた人で、もちろん日本にも来ている、僕も見た。後でマドリッドのテアトロ・モヌメンタルでも見たので2回見た事になる。いまから12年前になるか。マドリッドでも“ラパピエの理髪師”を見たが、この時はサルスエラ劇場だったので、横の扉を開けるともう通りなのには笑ってしまった、たしかに大衆的で、でもおもしろいし、歌もたいした物だったが。

停電
この街のマリトノ通りは停電が多い。1週間の内4回は停電がある。冷房の使いすぎが原因だと言うが、部分的に起きるのは何故だろう。ホテルが停電になったことは一度もないのに。困るのはそこに行きつけのインターネットカフェがあることだ。復旧が30分くらいだといいのだが、2時間もかかると待っていられない。最長で6時間というのがあるそうだ。最新のコンピューターを置く店が、停電するとろうそくの明かりで営業している。コンピューターそのものは自家製の非常電源でどうにか動くから店内の明かりだけなのだが。困るのはプリンターが動かなくなること。旅先にプリンターまでは持って行けないから、インターネットカフェの利用になるのに、肝心のプリンターが動かなくなる。電話だけは健在だが、こっちは夜12時を越えないと日本とは電話できない。明け方5時頃に電話したくはないと思うから。時差というものがあるのだ。インターネットを通すと国際電話が安い、7分くらい話していても400円ですむ。普通の電話だと10000円はとられる所だ。
まっくらな中に、ろうそくと、モニターの明かりが見えて、ロマンチックといえばまんざらでもないが、現代の怪談といえなくもない。コンピューターの向こうは世界中とつながっているというのに、一体誰がろうそくを想像できるだろう。お客は慣れっこで淡々とコンピューターに向かっている。困るのはレジだけ、伝票が小さい字なのでモニターの明かりでも読みづらい、レジスターのキーも見えない。おつりは間違えられないから、店長のタバコの量がとたんに増える。まるでチェーンスモーカーだ、今時もう死語になりかかっているのに、停電のおかげでこちらも薫製になりそうだ。夜は更けていく、電気はいっこうに復活しない、煙にいぶされてスペインの新しい夜のパターンがうまれる。
 26日から29日まではイギリスに行っていた。高校以来の友達の豊さんの住むピナーズというロンドン近郊の街。郷に入っては郷に従うという精神なので、こちらの生活は楽しい。スペインから3時間ほど移動して、東京でいえば小金井くらいのシチュエイション。落ち着いた過ごしやすい住宅街だ。豊さんの家族は全部で4人、奥さんと9才と12才の1男1女だ。彼は英国に8年住んでいるがそこを僕が訪ねるのは初めて。日本だったらもう一軒建っているような広い庭の家、昨年買ったのだそうだ。大きな庭木、あじさいの咲く家。ユダヤ人が多く住むという町並み、近くにシナゴーグ(シナゴガ)がある。
7月の夏休みに入った所で、子供たちは家にいる。バイリンガルの二人の子供はかわいい盛り、日米英の3つの国籍を持つ。将来どんな大人になるのか楽しみだがいまはまだ未知数。彼のオフィスはこの街にあるから、歩いて出勤している、職住接近の好例だが、工場がヨークシャーとオランダにあり、お客は全ヨーロッパにいるので、一ヶ月の半分は出張している。いわゆる企業戦士のひとりだ。けれど会うと時がスッと遡って高校時代に帰る、いまはもう50の二人なのに。もしローマ時代に友達がいたら、やっぱり会ったとたんに記憶の坂道をたどって、ローマの道ばたに立っていられるのだろうか、自分の寿命が100年もないのがうらめしい、やっと半世紀生きただけ。ずいぶん長く感じたが、人類3万5千年の歴史の中では、ほんの瞬きの間。でもその間に人類はすでに宇宙に手を伸ばしている。この後の半世紀に何が起こるのかたのしみ。
豊さんに紹介してもらった、B&B(ペンション)Grange Guest Houseに行く間中の雨。マラガからロンドンにきて、50日間雨を知らずに過ごした後だから雨がこんなにうれしいなんて思わなかった。しっぽりぬれる緑の生け垣をくぐって、数百年を過ごした玄関と1687年の刻印のある暖炉のある応接室を抜け、すり減った階段を上る。年月を経た木の床の部屋でそれぞれが静かに自分の過ごした年月を主張している家具に囲まれて眠る。豊かな落ち着き。庭のトネリコが250年生きてるんだよと語りかける。遠い昔英西戦争に勝利した時、この家はもうここにあった。時を越えて生きながらえる力があるなら、4000年を遡って、ローマの一市民に聞いてみたい。人が生きる時何が必要か、何が幸せかと。僕の体に流れる血はそう問わせる。いくら祈っても僕の体は元には返らないが、医学の進歩に期待して今はあるがままに生きていよう。
ここには落ち着いた古き良き時代の風情があって、のんびり過ごすには良い。古い家具、古い床、鶏小屋のある環境。古い階段、部屋の天井の柱は、宿の主人が時間をかけて磨き上げている。寝る部屋にはテレビも電話もない。テレビを見る時は階下の応接室へ行く。
部屋は一室一室全部違う、大きさも家具も。そこにその大きさの部屋があったので、宿の主人の趣味でそれにあう家具を入れたのだ。古い家を買い取って、アンティークの家具を入れ、ペンキを塗り、柱の釘、屋根の猫の飾りに至るまで、自分の趣味で時間をかけて仕上げてある。ロンドンの真ん中で生まれ育っただけに、逆に古いものを求める。これが良いと思えない人はヨーロピアンスタイルを理解することはむずかしい。ノボテルでも行ってとまればいい。都会生活は便利だが神経が疲れる。五カ所村のわら屋根の宿に泊まって、いろりを囲んで、古い鴨居をながめてほっとするような感覚と同じ。その上奥さんは長岡出身の日本人だから、気楽。朝にわとりが生んだばかりの卵焼きがおいしい。
ボンに世界の人が泊まりたい宿、第一位の5つ星ホテルがある。大きな庭と独立した建物に4〜5室ずつの部屋、小鳥のさえずりの中での朝食。おいしいパン。そばには芸術家の村があり、静かな眠りのなかで生活を楽しむようになっている。夕食は一流コックの手になる。一流コックはいないが、あまりここと変わらない。あちらは40室こちらは4部屋しかない。4人しか泊まれないのが難と言えば難、逆にその方がいいと言えばいい。
床屋
床屋には髪を短くしているので3週間に一度は行く。まだスペインで一度も気に入った床屋に当たらない。おおざっぱで、仕上げという感覚がない。最終的に少々凸凹あっても平気。髪を切り終わったら、ブラシでさっさと払って終わり、洗いもしない。ひげを当たることもない。顔にクリームをつけることもなし。もちろん早いし安い。1000円くらいのものだが、日本の床屋になれていると、不満だらけだ。イギリスならば事情が良くなるかと豊さんに聞いたら“同じだ”という。彼は日本人の床屋に月1度家まできてもらっているそうだ。やはり日本人がいいと言う。俳優なんかはさっそうとした髪をしているのだから、そういう人の出入りする床屋に行けば、ちゃんとした仕上がりになるのだろうが、20倍はするに決まっている。庶民であることを誇りにする僕がそういう所に出入りすることも面映ゆい。
歯医者もそう。スペインでもデンタルケアーが話題にはなっているが、ヨーロッパでは基本的には悪くなった歯は抜く。日本で大事に削って維持してきた歯を、えいっと抜かれてはかなわないから、まだスペインで歯医者にいったことはない。そのせいか街を歩くとやたら歯医者が目につく。僕は右半身の血流が悪いので、放っておくと右の歯が歯槽膿漏になりやすい。東京では一月に一度歯医者に行って歯石を取ってもらっている。そのプラークをスペイン語でなんというかが、僕の持っている西和辞典には載っていない。こんな状態で医者には行かれない。2ヶ月後には帰るのだからそのままでいいか、英西辞典を買ってプラークをひくか、どっちにしよう。
英会話
ここには日本人社会がちゃんとあるから、寿司屋、ラーメン屋、定食屋、日本人のいる病院、床屋、何でもある。その気になれば日本語だけで過ごせる。オリエンタルセンターに行くと、アジアの店が集中してある。客もアジア人。スペインの田舎とは絶対違う所。社命で仕方なくここに来ている人たちや家族は別として、旅行者は英語会話の勉強が主流のツアーなんて迫力があってもおもしろいと思う。日本は実用的でない割に英語教室の氾濫がちょっとすごすぎはしないか。確かに英語は必要だが、英語教育も文法とヴォキャブラリーと会話の3本立てで初めて役に立つのだと思う。専門書が読めて論文が書けて、話せない。なんて、教え方が悪いに決まっている。最近は外人教師を置いたりして少し良くなっているみたいだ。もう少しの努力だと思う。民間の英語教室にその責任をなすりつけてはいけない。6年も英語を習って日常会話すら話せないのは、日常会話の訓練をしていないのだから当たり前。せっかく時間をかけてくるのだから、一日で次の国なんていわないで、ここの英語環境を十分に生かして、ツアーガイドに実際のイギリス英語を教わりながらの8日間という趣向はどうだろう。

ストーンヘンジ
ローマ時代よりさらに昔、一般には先住民の時代といわれる。そのころ、神殿として建てられたのがストーンヘンジ、ここで何を祈ったのかはわからない、でも石はそれから4000年以上ここにあった。夏至の時この石の群れの中の一つにまっすぐ太陽の光が当たるという。まわりには古墳群が点在し、イギリスの文明の夜明けの時代を思わせる。石には凸凹の溝が刻んであって石同士の接続に使われ、一つの石を建てるのに推定800人の人間が必要な事からかなりの権力を持った者がいたことが推測されている。
歩く
街を歩いていると、なにか違う。東京の半分もないような遅さで、のんびりと行く。時にウィンドウショッピングをしながら、目的なく歩く。急ぎ足は似合わない。歩くはやさはアンダンテ。犬も、のどかに歩いている。日曜日、公園でジャズの演奏会。オールドファッションなビッグバンドジャズ。空に音が消えて行く。寝そべったり、座ったり、思い思いの格好でくつろぐ人たち。テントの下の年老いた楽師たち。ベンチに腰掛けて話すともなく話す6年ぶりの友達との会話。濃い緑の中で、見上げればターナーの描いた空がそこにあった。

 帰る間際の7月31日ついにセビージャが45度を越えた。何がって気温が。あきれたはなしで、それにもめげず観光している客は日陰か水道のそばに集中しているそうだ。それはわかるせっかく来たのだから観光はしたい。でもテレビでやるほどの暑さだから、尋常ではない。明日マドリッドに行くのが気が重い。
8月1日悪い予感は当たった。マドリッドで街角の温度計が43度、風もなく、体感の暑さは、フエンヒローラの倍、とても歩いていられない。部屋でテレビをつけたら、セビージャはなんと53度だって、河で水浴びする人にインタビューしているけど、年寄りが生まれて初めての暑さだと言っている。今なら、アスファルトの道路で温泉卵ができるかも知れない。夏にマドリッドにいるもんじゃない。冷房の効いたデパートにいるしかないじゃないか、買い物もないのに。街はアイスクリーム売り場に人の列ができている。ところがこの暑さにもめげず街頭音楽師がでている、そっちも生活がかかっているのだろうが、パッフェルベルのカノンだって、暑さ倍増の感がある。
夕方になったので、エスペランサのギタレリアに行く。相変わらずで一安心。暑いのに冷房のない店だが、奥は思いの外涼しい。友達のために磨いているというミニギターや修理中だというドミンゴエステーソを見せてもらった。売れるかと聞くと、売れないとすぐ返事が返ってくる。最近日本人が減ったどうしてだろうと言う。スペインに良い演奏家がいなくなったし、レアル・コンセルバトリオが15年制になったので留学生が減ったせいだ、という。8年でもいやなのに、15年では、初等科、中等科をとばして入ったとしても4年ですんだのが8年になったのでは、簡単には来れない。その上サーズ問題で一般の観光客も来ないんでは確かに日本人の姿は見なくなる。語学が得意なエスペランサは、英語、バスク語、イタリア語、フランス語はスペイン語と同じくらいしゃべる。それでも日本語はだめだと笑う。ぼくがフエンヒローラの話をしたら、私も53才になるけど、日本語の練習の本でも買ってみるかなだって。両親は早くになくして、兄弟はひとりだけど結婚している。店はあまり儲からないので夏休みもとれないという。それにスペインは65才までしか働けないことに法律で決まっているので、その後どうするかと思うと時々パニックになるという。年金では暮らせないのだそうだ。彼女は婚期を逸しているので、できれば海のみえるところで一人で余生を送れればいいんだけどという。いまは地中海沿岸は土地が値上がりしてそう簡単には住めなくなったと嘆く。まあ“これだけの店をひとりで切り盛りしているのだからいいじゃないか。”と僕。“日本も同じ、年金では食えないよ。”と言う。“それもそうね今生きてるんだから、悪くはないわ”と笑って終わり。店が終わる時間になったので近くの日本料理の店に食事に行くことにする。昔は“どん底”だったけど、今は“銀座”、ホテルパラスの向かいだ。
プエルタデルソルは人があふれている、地図を持った旅人も多い、そして泥棒も。エスペランサは泥棒を知っていて、あの角の4人組は毎日いる、あっちの角の若いのもそうだと教える。むし暑い上に泥棒で神経質になってしまったので、タクシーを拾っていくことにした。すぐ近くだけど。さすがに、エスペランサはマドリッドに住む日本人のギター関係者の知り合いが多い。“銀座”はその内のひとりに聞いたのだけれど、まだ行ったことはないと言いながら、ほんとにすぐに到着。きれいな店で、刺身がおいしい。一階はくるくる寿司、2階は普通の店になっている。味噌汁も本格的で、東京と変わらない。エスペランサは箸を器用に使って、食べる。彼女もここはいいわと大満足。食事が終わったら、明日は早朝立ちなので、タクシーで帰ることにして、彼女と別れた。