病気

スペインで風邪を引くぐらいならどうと言うこともないが、ぼくはとんでもない病気をしている。それは「はしか」。病気になった本人がどうにも信じられなかったものだ。
ある夜40度近い高熱を発してそのまま寝込んでしまった、寒気がするし、高熱でうわごとは言うし、原因がわからないままに、手持ちの抗生物質を飲むとその場は熱が下がるのだが、又ぶり返す。妻もあわてて、これは駄目かもしれないと覚悟したそうだ。一晩中まんじりともせず過ごし、何も食べられずに一日が過ぎ、翌々日の朝、隣のアントニアがきて、「おかしいと思ったら、病気じゃないの、熱があるんなら窓をあけて空気をいれかえなければ駄目じゃない。」といって窓を開け放す。冗談じゃない、こっちは寒くて震えているというのに。それから、右隣の家に行って医者に電話をかけてくれた。

やがて1時間もすると医者が到着、まず問診、これがつらかった。聞かれていることには答えなくてはならないのに意識がもうろうとして、スペイン語がでてこない。やっと答えてもなにやら訳のわからないことを言っているらしいが、それも覚えていない。そのうち妻にスプーンを持ってこさせ、口の中を見て、それから上半身裸にして、「あーサランピオンだ」と言った。とたんにアルフォンソたちが笑い転げる、冗談じゃない熱があるのに頭にがんがん響く。妻が急いで辞書をひいて、「あら、はしかだって」と素っ頓狂な声で言う。

はしか、まさかそんな、とたんにこっちも気が抜けた。医者は淡々と診断書を書いて、妻に渡す。運良くスンヤという当時マドリッドの中心にあったレストランのママに勧められて、保険に入っていたので、保険証を出すとその中から一枚破り取ってなにやらサインして帰っていった。
それからが大変、アントニアは笑いながら、注射師に電話するから、熱は39度以上あると言えと指示している。39度以下は注射に行かなければならないのだそうだ。それから、階下の薬局に行って、薬を買ってこいと言っている。全部自分で買って用意するらしい。後で聞くところによると、妻は階下で必要品を買っているうちに、単語に困って、杏里に電話して、綿はスペイン語でどういうのか聞いたらしい。「アルゴドン」だって。おそらく一生忘れない単語になったろう。

スペインでは医者より薬局という習慣があって、のどが痛くても腹が痛くてもすぐ薬局に行く。医療費が高いのもあるだろうが、結局薬局に行くことになるのも大きな理由。ちなみに消毒用アルコールはすべての家庭で常備している、もちろん「アルゴドン」も。となりのイギリスではアルコールを家庭におくことは絶対にない。そこら辺の水で割って飲んでしまう奴が多いので、危なくておいておけないのだそうだ。アル中の国の面目躍如だ。

そんなことを言っている場合ではない、しばらくすると注射師がくる。ジーンズすがたのお兄ちゃんで、カバンも何も持ってない、やおら尻ポケットから注射器を取り出すと、「アルゴドン」ときた、さらにアルコールをださせ、注射液を出させ、準備が終わると、「尻」とひとこと。ええっ尻、腕じゃないの。と思う間もなくベッドの上で尻を出させて、左手でパシッとたたいたところにブスッとさして、あっという間に注射してそばのくずかごに注射器を放り込んで、保険証を一枚破って帰っていった。
あっけにとられる僕、尻は注射で痛いのか殴られていたいのかわからない。なんか熱が下がってきたみたい。で、体を見たらたしかにポツポツの斑点が出始めている。はしかの発疹かなと妻に言った。弱々しいながらも笑いが出てきた。

それにしても、医薬分業は知っていたけど、医薬注射分業とは考えつかない、医学部を出てもまだ病院の絶対数が少なくて就職がなかなか見つからなかった頃だから、こういう事態になったのだろう。もちろん、地方によっても、制度は違うので、注射師という職業を知らないひともいる。高熱の人には注射しに来てくれるというのは良い制度だと思う。アンダルシアは、街の中に「Centro medico」(メディカルセンター)として個人経営の病院がいくつもあるようになっている。もちろん注射もそこでやる。ま、本人はかなりやつれたけど。とんだお笑いの一席だった。