Casa Mira ガウディの代表作 カタロニア美術館クリスマスなのでサンタがいます
祭りにはこのヒガンテを一人でかついで町を練り歩く クリスマスの飾りつけ
時代考証
テレビもいろいろな番組をやる。
ゴシップ、歌番組、K1、ニュース、天気予報。これから5年間で、地上はデジタル放送だけに変わるそうだ.
増えたチャンネル数を生かして専門チャンネル化するのだろう。

今のところ外国向けのテレビシオンエスパニョーラだけはスカパーで見られるが、スペインのテレビ放送がカナル10もテレシンコもetbもフランスのも、ドイツのもノルウェーのも全部、衛星経由で見られるようになる日を心待ちにしている。

国内の視聴率ばかり追いかけている間は、テレビもそんなに内容が変わるとも思えない。

おもしろいと感じることには個人差があるし、それぞれの嗜好を完全にカバーするためには500チャンネルくらいは必要かもしれあい。そうなれば視聴率をあまり気にしないで専門化した内容を高めることを考えればいい。そんな時代を待っている。
 
バスクにはバスクだけの専門チャンネルが二つある。
etb1はバスク語でやっている、etb2はカステジャーノ(標準語)である。

広島で広島弁のテレビ局があって、俳優もアナウンサーもみんな広島弁でやっているなんて、いいかもしれない。

スペイン語とバスク語は文法まで違うので、方言ではなく地方語という、独立運動も依然つづくし、人々もバスク人であることを誇りにしている。

フランス側にもバスク語で生活している人達がいるし、長い歴史の中での必然かもしれない。

カタロニア語、バレンシア語(ほとんどカタロニア語と一緒)、ガリシア語も地方語だ。みんなそれぞれに、あまりに違う文化を持っている。

アンダルシア語は分りにくいが省略が多い(ほんとに多い)だけで、れっきとした方言だ。

スペインは大体日本の4倍という国土だし、ローマ、アラブ、ケルトなど、いろいろな種族の支配があっただけに、複雑な人種で構成されて混ざり有ってきた。

だから、地方語が存在するだけの地盤があるのだ。日本では片寄った報道しかしないので、独立運動-ETA-爆破テロ'という発想しかないが、バスクの民の一部にそのような連中がいるだけだ。

日本の右翼と同じように、数はいないが目立つ。独立運動の中で現われた嫌な連中だ。

スペインでも朝の報道番組を見ていると、町を歩くのも、車に乗るのも、地下鉄も怖くなるくらい、犯罪事件が多いが、これは日本も同じ。

犯罪の報道だけ集めたら日本のほうが多いはずだ。文明が進むと社会が病んでくるのはどうしてだろう。要は危ない所に行かないことだ。たとえば深夜のよからぬ所など。

ところで、たくさんある番組のなかには、たとえば江戸の侍物、バイキング物、中世物などがそうだが、時代考証が必要になるものもある。

その時代の生活はわかる限り正確に作っておかないとリアリティーがなく、底が浅くなってしまうから。時代考証というのは結局は考古学になる。

しかし記録に残ったり、遺品で見つかるのは、権力者の歴史の場合がほとんどだろう。

ところが僕が興味があるのは庶民の生活史なので、バイキングやローマ時代の映画をやっていても、本筋とは関係ないところばかり見ることになる。あのナベは煮炊きにつかうんだろう、とか、あの香水ビンはどの辺りから出たんだろう、とか。

 ヨーロッパは遺跡の宝庫だから、博物館巡りが楽しい。これだけはアメリカが逆立ちしてもかなわない。わづか80数年の寿命しか持たない自分が、4千年前のローマの時代の遺跡をさまよう。

スペインは年一回は来ているので、地方の博物館にはいる機会も多い。
若い頃と興味を覚える所が違うので入りなおすことも多い。
なかでもキリスト紀元より前の時代や、先史時代の遺跡が好きだ。

分からないことが多くて謎めいているほどおもしろい。

人間は宗教的な制約を持たない方が奔放で良い。
美術には現れている。
ギリシャ時代の彫刻は見る物をほっとさせるおおらかさがあるし、近現代の物は、はつらつとした奔放さがある。
その間の中世は聖母子像やキリスト像がほとんどでキリスト教の信者以外は、見てもピンと来ない。
それでもウフィツィ美術館やカタロニア美術館で何とかアダムとイブの絵の時代による差を見つけようと、じっくり見ると背景や衣服、全体の立体感が相当進歩してきているのがわかる。

同じテーマで描いても、やはり天才はいると思う。

レオナルド・ダ・ビンチなどは、もっと自由に描くことができたらどんな作品ができていたろう。
日本画は岩絵具を使うので油絵具より水彩に近いところがある。

ゴッホに大きな影響を与えたことは有名だし、北フランスのモネの家は一大浮世絵コレクションで家の中が埋まっている。どの部屋もどの部屋も壁を埋めつくすように浮世絵が飾ってある。

浮世絵の中に印象派が求める何があったのか、モネの睡蓮と北斎との関連づけなど僕にはわからないが、天才を剌激する、異質なものがあったのだろう。

外に出ると、色の統一された花達の並ぶ花壇と、有名な蓮池がある。ここで、スケッチできたら僕でも良い絵が書けそう。と思ったが、モネの庭でスケッチブックをひろげる度胸はなかった。

近年、発掘が進んでスペインの博物館は豊富な発掘物を抱え展示にも工夫をこらして、中に入ってもあきないようになった。

単に学問的な展示から、だれにでも分かる展示になって来ている。
これは、とくに小学生くらいが飽きずに回れるように配慮しているせいだろうと思う。スペインの小学生は課外授業にこうした遺跡や博物館に行くことが多いから。

中でも、マドリッドにある国立考学博物館はすばらしい、紀元前6世紀頃の工ルチェの女王をはじめ(こんな美しい胸像が出てきたら、それは、感動するだろう。)バロの女王、他、完成度の高い発掘品が全国から集められている。
 ゴヤやブリューゲル、ベラスケス、ムリーリョ、ルーベンス、マドリッドのプラド美術館には、きら星のごとく天才画家の作品が並ぶ。どの作品もすばらしい。

エルグレコは一生、天にいるキリストと、肖像画ですごした。もちろん、画家の性格もあるが、エルグレコなんかは、もっとも職業的な作家だったのかもしれない。
トレドの彼の家に残されている絵の背景はまったく同じ物が随分ある。

ダリも同じ背景が多いが、彼の場合は自分の精神的土台となる生まれ落ちた場所、カダケスの風景を、いつも書いていたのだから職業的云々の話にはならないだろう。
ダリのセンスはすばらしい。ティッセン美術館にある有名な虎の絵のとなりにある一枚の絵を見たときは、ドキッとしてしばらくぼうぜんと見つめていた。水が絵の中に暗くよどんでいるように見えたから。
 
ゴヤも宮廷画家としてすごしたが、肖像画を書く裏側で黒い絵や、風刺画を残した。
民衆の姿を描いた絵も多い。王様の肖像画より生き生きとしているように感じるのは僕だけだろうか。
黒い絵はかれのもう一つの側面。現代の安直な抽象画より、抽象的な気がする。
 
僕は美術家ではないので、絵に関しては、好き嫌いしか判断の基準はない。
わがままにえらべば、モネ、シスレー、ピサロ、ルノアール、ミロ、ピカソ、など近現代の画家の作品が好きだ。

美術館も統一された美術史的な見地からまわってはいないのだが、本物を見るだけは数多く見ている。知り合いの画家が、要は見ることだ。と言ったのでその言葉に忠実にしたがっている。

中世の庶民史や童話、ドイツのギルドなどの物語りは、これまたおもしろいので、そういう物があるところに足を運ぶことになる。

書物に出ているのを見ただけでは満足できない。どうしてもそれが見たくて14時間も飛行機に乗ってもヨーロッパに来る。
ここが、ピカソの生まれた家かと、マラガで彼の家だった所の手摺りをなでて、天才の面影をしのんだりする。

生きた存在として近くに感じていたいし、なぜそんな創作活動ができたのかを、周辺から探りたい。自分のこととなるとよくわからないのだが。
 
スペイン人の友達の家の近くの農夫がラマンチャの畑でナウマン象の骨の化石を見つけた。
石にしてはちょっと形が複雑かと調査に出したら、ナウマン象の骨の化石だったというわけ。
今アルバセイテの博物館におさまっている。
 
中性の甲冑はトレドで今もこしらえている。もちろんおみやげ用だが。
スペイン各地のお城にある本物を見ても、本当にこれだけ着ていて戦えるのかと不思議に思う。
大将はうしろで指揮するだけだから、これで良いのかもしれないが。
それにしても、下に着る鎖かたびらだけで、相当重い。
実際に戦う下っ端の兵士たちは、兜と鎖かたびらと、胸当てとすねあてだけだったようだが、重くて戦いにくかったろう。
 
専門の楽器の博物館を忘れては行けない。
良く整理されているのは、ウィーンのホッフブルグにある新しく開いた奴だ。
ぼくは昔の展示の方がありがたかった。
というのもギターがひとつ所にまとまって展示されていて、ウィーンのギターの発達が一目で見れたから。

今は時代順に部屋が分けられ、代表的な物だけになってしまい、定かではないがギターは展示数が少なくなっているような気がする。でも、所蔵楽器数から言っても、管弦楽器、ピアノの古典期の発達を見るにしても、うってつけのところだとは思う。
 
雑然とはしているが数の点で勝るのがライプチッヒ。
しかもそこにある楽器を可能な物は演奏してくれる。
リュートやチェンバロ、リコーダー、ハーディーガーディーなど、バロック期の物についてはここはたいしたものだ。ただ旧東ドイツ時代に行ったままなので、展示が変わっている可能性の方が大きい。
 
作曲家に関しては、ベートーベンをはじめ、モーツァルト、シューベルト、シュトラウス、などほとんどウィーンで個別に博物館がある。
なかでもシューベルトは、彼の使ったギターが二本展示してあった。指板なんかすり減って良く弾いていたことを物語ってくれる貴重なものだったが、最近一本になってしまった。

もちろんモーツァルトはザルツブルグに、ベートーベンはボンに、ハイドンは長く住んだに博物館がある。バッハもアルンシュタットにある。
 
変わっているのでは、ゴスラーの博物館、プライベイトのような、小さな物だが、音が各周波数で良く出るように胴体を膨らませたマンガのようなバイオリン(属系せい氏の音楽辞典にも載っている)や、ギター、リュート、管楽器など、当時の職人はここまで考えたのかと、驚かされるような物ばかり集めてある。

バルセローナにも、かつて音楽博物館があった。
貴重なグラナドスのピアノや、ターレガのギターが展示してあったが、今は開いていない。
旅行書に、あそこだここだと書いてあるが、結局やっていないので注意が必要だ。
ぼくは2回見ている。運がいいと思う。
一度展示すると簡単には模様替えできないし、担当者がその間に変わると細かい所がやり直しになったりするから、無理もないが。早く開いてほしいと思う。

カタロニア美術館はやっと、昨年はいることができた。
なんと、建物を見てはいりたいと思ってから24年振りのことだ。うち19年は修復中で入れなかった。